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さて、「今日の一言メモ」第86回です。
「あり方 (Being) 」を定める
僕の仕事は、中小企業向けのITコンサルタントです。ITを切り口に、その企業の業務をどのように効率化していくか、というアプローチが主なお仕事になります。
そこで重要なのは、クライアントの社長さん以下社員の皆さんと、価値観を共有することです。そこがきちんとできていないと、成果が出ないからです。
極端に言えば、法的にスレスレのことでも儲かりゃいいんだ、というスタンスの社長さんとは一緒にお仕事できません。
どんな形であってもきちんと社会に貢献するのだ、お客様に満足いただけるサービスを提供するのだ、社員を大切にしていくのだ、という姿勢をきちんと持っている社長さんとお仕事したいと思っています。
ですから、その会社の経営理念、ビジョン、ミッション、行動指針という、いわば会社の「あり方 (Being) 」をまず確認します。明文化したものがなかったり不足していたら、一緒に作って行きます。
ビジョンやミッションは、時代の変化や事業領域の拡大と共に変わっていく可能性があります。でも、経営理念や基本的な行動指針といったものは、そう変わるものではありません。言ってみれば、いつでも方向を指し示してくれる北極星のようなものです。
北極星を目指して歩くぞ、といって歩き出しても永遠に辿り着けるわけではありません。でも、そこに到達することが目的ではなく、その方向に向かうことが目的なので、それでいいのです。
「あり方 (Being) 」を定めた後、「やり方 (Doing) 」を工夫する
会社の大きな方針や将来像を、経営理念やビジョン・ミッションとして定めたら、今度は具体的なアクションプランに落とし込んでいきます。これが「やり方 (Doing) 」です。
具体的には、3カ年の中期経営計画を策定します。全社的に3年後には達成したい数値目標や定性的な目標を描き、それを単年度に分解し、それぞれの年度のマイルストーンを定めます。
そして、そのマイルストーンを達成するのに必要な重要成功要因 (KSF : Key Success Factor) を定義し、達成度評価に必要な重要業績評価指標 (KPI : Key Performance Indicator) を定めます。
後は、細かい実行スケジュールを計画し、進捗管理・予実管理のPDCA (Plan・Do・Check・Action) サイクルを回していくのです。
「やり方 (Doing) 」は、朝令暮改であっても必要なら変えていく
ITコンサルタントという仕事柄、どうしてもITを活用したシステム化・情報化がメインと思われるのですが、決してそうではありません。
そういった「やり方 (Doing) 」を検討する土台となる「あり方 (Being) 」がきっちり定まっていないとできません。
そして、それが定まっても、いきなりシステム化・情報化に取りかかるわけにもいかないのです。
今やっているお仕事の見直しが必要です。全てをシステム化しようとするのはナンセンスです。システムは金食い虫ですから、最小の投資で最大の効果を得なければいけないのです。
まず、やめても問題ない業務はないか、スリム化できないか、別々だった業務を統合できないか、昔定めたもので現状と合わなくなっている運用ルールがないか見直す、といった「やめる・減らす・変える」アプローチをして、お仕事を整理していきます。
その上で、標準化・マニュアル化できるものをピックアップし、定型的な業務について相当なボリュームが見込まれる場合に、初めてシステム化の検討に入るわけです。
こうした過程で変えるべき「やり方 (Doing) 」は、どんどん変えていきます。一度変えてうまくいかなければ、すぐにまた変更します。例え朝令暮改であっても躊躇なく実行します。
「やり方 (Doing) 」を改めることにフォーカスして、「あり方 (Being) 」まで否定しない
「やり方 (Doing) 」を改める際に注意すべきは、それが「あり方 (Being) 」に沿っているか、常に確認・チェックすることです。
「木を見て森を見ず」にならないよう「着眼大局、着手小局」を心掛け、軌道修正していきます。
その時に「あり方 (Being) 」を疑っては絶対にダメです。そこを否定してしまうと、どんどん違う方向に行ってしまうからです。
個人であっても、いくつもの初心を忘れない
それは個人であっても同じです。この点については、「初心忘るべからず」という言葉が有用です。
一般的には、何事においても始めた頃の謙虚で真剣な気持ちを持ち続けていかねばならないという戒めとして使われています。
ただ、この言葉は元々、能を大成した世阿弥 (ぜあみ) が50歳半ばに書いた『花鏡 (かきょう) 』という伝書に記された言葉であり、もう少し複雑で繊細な意味を持っているのです。(こちらのサイト参照)
すなわち、「初心」は「最初の志」に限られておらず、人生の中にいくつもの初心があると世阿弥は言っているのです。
若い時の初心、人生の時々の初心、そして老後の初心。それらを忘れてはならないというのです。それぞれの時期に、自分の未熟さに気付く謙虚さが必要と説いているわけです。
この初心は、その時々の「あり方 (Being) 」に通じます。人生のどのステージでも初心を忘れず、自分の未熟さを自覚して謙虚に生きていく、という姿勢を持ち続けることが大切だと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.4.12記)